Photographer Takeshi Nakasa vs Professor Koichi Kato

Column 2-003-J-05/30/2024

仲佐猛が建築史に興味を抱き、書店で偶然手にとったのが東京大学の加藤耕一教授の著書『時がつくる建築:リノベーションの西洋建築史』。西洋建築の歴史を既存建築の再利用から読み解く本書を読み、仲佐が加藤氏との対談を熱望し、加藤教授の研究室を訪問。

話はパリのノートル=ダム大聖堂の再建に始まり、建築史家が見るインテリア論にまで及んだ。

(取材・2024年3月)

文:植本絵美(フリーエディター)
取材写真:大崎衛門(株式会社ナカサアンドパートナーズ)
編集:大原信子(株式会社ナカサアンドパートナーズ)

  1. ノートル=ダム大聖堂の修復は間違っていたのか

  2. 東西に見る「スポリア」

  3. 建築史家が見るインテリア論

  4. MIU MIU Aoyamaと産業革命

  5. 空間と一般の感覚をつなぐもの


1. ノートル=ダム大聖堂の修復は間違っていたのか

仲佐:コロナの時にルネッサンスあたりの建築を知りたいと思い、偶然加藤先生の著書『時がつくる建築:リノベーションの西洋建築史』に出会いました。表紙の写真をひと目見て「この写真は素敵だな」と思ったんですよ。

加藤:プロの方に言っていただけて光栄です。

仲佐:しかも前回お会いした時に、私の名刺を出した瞬間に「これはルドゥー(※1)の絵ですね」と言ってくださったのが嬉しくて。20年来使っているのに、それを言われたのは初めてでした。

加藤:そうでしたか。

仲佐:先生の著書を読んで、今までにない切り口だと思いました。「おお!」と思わず声が出てしまうようなエピソードがたくさん散りばめてある。なかでも驚いたのが、ジャック=ルイ・ダヴィットが描いた有名なナポレオンの戴冠式の絵。先生は留学中、友人知人を何度もルーブルを案内していて、ある時はたと気がつく。「これはおかしいぞ」と。

加藤:そうなんです。ナポレオンの戴冠式はパリのノートル=ダム大聖堂で行われましたが、背景に描かれた建物にゴシックの意匠がないんです。フランス王家の戴冠式はランス大聖堂で行われるのが伝統でしたが、ナポレオンは皇帝になるので、フランス王との違いを見せるために、ランスではなくパリで戴冠式を行いました。しかし絵を見ても、まったくパリに見えないんです。パリのノートル=ダム大聖堂は12世紀の初期ゴシック建築の傑作ですが、ゴシック建築の特徴を示すものが何一つ描かれていない。これは18世紀初頭に王室主任建築家のロベール・ド・コットがパリ大聖堂のゴシック様式の内陣を大理石の羽目板で覆って、ルネサンス的な内陣へとつくり変えたのです。ただ大理石の羽目板は1層分だけだったので、上部を見るとゴシックのデザインが見える。ダヴィットはそれを巧妙にトリミングして描いているんです。

仲佐:2019年にノートル=ダムが火事になり、再建についてはさまざまな議論がありましたね。最後の修復は19世紀半ばにヴィオレ・ル・デュク(※2)らが行ったものですが、あれはどのように受け取られているんですか?

加藤:文化財の観点において、デュクの修復は悪いお手本のように言われ続けてきました。100%保存した嘘のない修復が正しいと。

仲佐:とはいえ、もうその姿で160年経っているわけですよね。偽物だと言われ続けてきたものを、パリジャンはずっと見てきた。偽物と本物の線引きがわかりづらい。

加藤:そうなんです。文化財になったとたんに正統性(オーセンティシティ)が求められる。そもそも建築は正統性で評価するものではないと思います。

※1 クロード・ニコラ・ルドゥー:フランス革命期の王室建築家。仲佐の名刺には彼の銅版画「ブサンソンの劇場瞥見」が描かれている。

※2 ヴィオレ・ル・デュク:19世紀のフランスの建築家。1845年からジャン=バティスト・ラシュスとともにパリのノートル=ダム大聖堂の改修を行った。


2. 東西に見る「スポリア」

仲佐:先生の本を読んで、特に興味を惹かれたのは、西洋で古代から行われてきた「スポリア」という行為です。使われなくなった建築の柱や彫刻などを別の建物で再利用する行為だと先生は著書で説明していますね。

加藤:建築の一番いいところだけを取ってきて、それが後世に残っていくというスポリアの考えが面白いと思ったんです。

Nacasa & Partners (以下N):日本でも、スポリアは存在するのですか?

加藤:スポリアとは少し違うかもしれませんが、伊勢神宮の式年遷宮で建て替えの際に出た材料は、さまざまな形で使われています。腐っている部分は削ぎ落とし、ひと回り小さくなって伊勢の他のお社で使われたり、最後は橋の欄干になったり、何度も何度も使い直されている。石は木より長く残る点は違いますが、考え方はスポリアに近いと思います。

仲佐:以前、京都のお寺が建っていた敷地にできた「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」を撮影したのですが、ロビーの壁にかつて本堂で使われていた木鼻(※3)が飾ってありました。他にも床板や欄間などが使われていて、「スポリアだ!」と。

加藤:新しい建物の中に古いものが一部でも残っていると、不思議と良いもののような感じがしますよね。現代の技術を使えば、かつてのディテールも簡単に再現することもできる。しかしそれだと、私たちはポストモダンだと思ってしまう。素材が時を経て獲得していく質感があるからだと思います。

※3 木鼻:頭貫などの水平材が柱から突き出した部分に施された彫刻の装飾

三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺 ロビー


3. 建築史家が見るインテリア論

仲佐:残念ながら、インテリアの歴史について体系的に研究した本やアカデミックに語れる人がほとんどいないんです。先生が以前、別の媒体で「MIU MIU Aoyama」(設計/ヘルツォーク&ド・ムーロン)について分析していましたが、非常に面白かったです。

加藤:これまで建築論では、形や空間などの抽象について議論され、建築の中の具象の部分、つまりインテリアについて語られることはありませんでした。僕らは学生の頃から、建築家は空間がつくることが重要であり、インテリアは考える必要はないと教わってきました。しかし、青木淳さんが設計した「ルイ・ヴィトン」のデザインを見ると、建築家がつくるインテリアはいいなと感じる。「インテリアって面白いんじゃないか」と思い始めるわけです。

仲佐:建築史家の視点でインテリアを論じるのは、これまでになく新鮮です。

加藤:アドルフ・ロース(※4)が1908年に『装飾と犯罪』を出版しますが、実はその10年前に『被服の原則について』という論考を書いています。その冒頭で「居心地のいいものとは何か?それは絨毯である。しかし、絨毯だけでは構造的に成り立たないため、それを成り立たせる空間が必要である。それをつくるのが建築家の役割である」という内容を書いています。私たちが受けてきた教育と真逆なんです。20世紀以降は、マテリアルや質感の重要性を見落としてきました。それを見直してみることで、建築が伝統的にもっていた大きな可能性みたいなものをもう一度獲得できるのではと、インテリアを考えるようになったんです。

※4 アドルフ・ロース:20世紀のオーストリアの建築家。『装飾と犯罪』で「装飾は罪悪である」と主張し、波紋を呼んだ。


4. MIU MIU Aoyamaと産業革命

仲佐:先生は、MIU MIU Aoyama内装の壁面にジャカード織のブロケード生地が使われていることに気づかれました。

MIU MIU Aoyamaオープン記念冊子より

加藤:インテリアデザイン論の背景にあるのがニコラウス・ペヴスナー(※5)の『モダンデザインの展開 モリスからグロピウスまで』で、今も教科書的な存在です。ペヴスナーは著書の中で、「産業革命が粗悪な大量生産品を世の中に撒き散らし、すべてをダメにした。それに対してウィリアム・モリスが手仕事を始めた。これがモダンデザインの始まりである」と言っているんです。今でも多くの人がペヴスナーのインテリア論に則っています。しかし、現代は大量生産を前提としたデザインです。にもかかわらず、モリスの中世的主義的な職人の手仕事がモダンデザインの始まりだというのは、少し無理矢理なような気がしていました。違和感を感じていたなかで、MIU MIUのジャカード織に気づくんです。というのも、ジャカード織は産業革命による大量生産が可能にしたもの。ジャカード織そのものは中世まで遡り、かつてはダマスク織と呼ばれ、王様だけが使えるような超高級品でした。しかし、19世紀初頭にジョゼフ・マリー・ジャカールが自動織機、いわゆるジャカード織機を発明した。パンチカード(穴を開けてパターンをつくった厚紙)によって織機をコントロールすることで、複雑な模様を自動で織れるようになりました。つまり、ジャカード織は伝統と当時の最先端技術を結びついた結果、普及していったんです。19世紀はブルジョワ的な劇場やレストランなどの空間がジャカード織のような布地で覆い尽くされて、質感や色彩にあふれた世界が広がっていたのではと想像します。

仲佐:MIU MIUのジャカード織から、産業革命まで遡るとは!と驚きました。

加藤:歴史家は長いスパンで捉えることが得意ですが、時間軸で見ると、これまで正しいと思われてきたことが、実は狭い範囲だけの正しさだということに気づく。そうすると、いろんな可能性が見えてくるのではないでしょうか。


※5 ニコラウス・ペヴスナー:ドイツ出身のイギリスの建築史家。


5. 空間と一般の感覚をつなぐもの

N:先ほど、「ファブリックを成り立たせるために空間が必要で、それをつくるのが建築家の役割」とお聞きした時、現代の若手建築家はそれに近しいことをやろうとしている気もするのですが、先生はどう思われますか?

加藤:その傾向はあると思います。以前、建築家がつくる建築は小難しくて、一般の人にはわかりづらいところがありましたが、若手たちは今、もっと一般の人に近い感覚で設計をしている。しかし一方で、物足りなさを感じてしまうのは、彼らの中にモダニズム嫌いの清貧思想みたいなものが残っていて、やっちゃいけないことに縛られているからだと思います。たとえば、リノベーションで古いものを残しながらも、新しい壁は合板が剥き出しだったりする。あれは「そこに壁紙を貼っちゃいけない」という20世紀的の建築教育の慣れの果てのような気がするんです。MIU MIUでジャカード織を取り上げたのは、マテリアルや質感を建築家たちがもっと認めていかないといけないと思ったから。そうしないと、最終的に建築を使う一般の人との感覚と結びつかないですし、使う側も愛着をもって長く使っていこうという感覚にならないのではないでしょうか。

N:今は表層を剥ぎ取るだけで終わっている感も否めません。時間という軸が入ったとき、果たして剥き出しの合板はみすぼらしくなってしまわないか、スポリアのように時間の経過を受け止められるのか、疑問が残ります。

加藤:そうなんです。剥ぎ取ったリノベーションも面白いけれど、やはりマテリアルや質感といった人々と繋ぐ何かが必要なんだと思います。

N:現代はAIが普及し始め、産業革命のような大きな転換期にあるような気がします。

仲佐:テクノロジーが発達する一方で、手仕事や一つひとつのモノを大切にするモリス的な考えも大切にされていくような気がしますね。

加藤:いい時代に人は歴史を振り返ったりしない。現代は「このままじゃまずい」と気づいていながらも、20世紀型のスクラップ&ビルドから抜け出せない。なぜなら、それに代わる答えや価値観が見えてないからです。建築史家は解決策や未来予測ができるわけではないですが、歴史を振り返ってみると、まったく違う視点に気づける。100年ぐらいでは大きく変わらないかもしれませんが、500年ぐらい遡ってみると、そこには大きな可能性が広がっている、そんな気がするんです。


加藤 耕一
Koichi Kato

1973年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。2001年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(建築学専攻)。博士(工学)。東京理科大学理工学部建築学科助手、パリ第4大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)、近畿大学工学部建築学科講師などを経て、現職。主な著書に『時がつくる建築:リノベーションの西洋史』(東京大学出版会、2017)『ゴシック様式成立史論』(中央公論美術出版、2012)、『「幽霊屋敷」の文化史』(講談社、2009)など。


仲佐 猛
Takeshi Nakasa

1949年東京都台東区生まれ。株式会社ナカサアンドパートナーズ代表取締役。1970年四谷スタジオ入社。1971年より村山欽平氏に師事し、1977年に仲佐写真事務所を設立。1989年には株式会社ナカサアンドパートナーズとして法人化。以来、建築・インテリアの分野において写真家として活躍。現在も20名以上のスタッフとともに多忙な撮影スケジュールをこなしている。

 

文:植本絵美(フリーエディター)
取材写真:大崎衛門(株式会社ナカサアンドパートナーズ)
編集:大原信子(株式会社ナカサアンドパートナーズ)

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