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Vol.04
仲佐猛、キーマンとともに(その2)
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仲佐 猛
ナカサアンドパートナーズ 代表取締役
客人:林 昌二
建築家・日建設計名誉顧問


「なんか際どい話になってきちゃいましたね。」(仲佐)
「際どい話じゃなくちゃあ、面白くないでしょう」(林)

50年の建築家活動を経て、現在「日建設計」の名誉顧問として日本の建築世界を、社会を見守る林昌二さん。建築家人生を「日建設計」という巨大組織に一貫して属しながら、しかし個としてのクリエイティビティ、独自性、“人としての作法”を貫いた希有な建築家であり、厳しい目をもち毒のあるメッセージを放つご意見番である。 一方、同じものを建築カメラマンとして見続けている仲佐。そんな林さんとかねてから対談をしてみたかったと、近著『建築家 林昌二毒本』を小脇に抱え林邸を訪ねた。(2007年1月)



都市のエネルギー

毒の人 最後の大仕事


藤巻幸夫林昌二(はやし・しょうじ)
日建建設株式会社名誉顧問。 1928年東京生まれ。東京工業大学工学部建築学科卒業後、日建設計に勤務。50年の建築家活動の後、2004年に引退。 主な設計作品に「掛川市庁舎」「三愛ドリームセンター」「パレスサイドビル」「ポーラ五反田ビル」「新宿NSビル」「ポーラ美術館」など。著書に『建築に失敗する方法』『二十二世紀を設計する』(彰国社)、近著に『建築家 林昌二毒本』<※注1>がある。
奥様は住宅作家として著名な故・林雅子さん。

<※注1>
書籍「建築家 林昌二毒本」
著者: 林昌二
発行: (株)新建築社
定価: 3,200円(税別)



都市のエネルギー

photo仲佐:ご無沙汰してます。
いま上海帰りなものでテンション高いです(笑)

林:そりゃあいま刺激が強いでしょう、上海は。

仲佐:そうですね。でも、確かにスケールは大きいんですが、なんというか、僕らが認識している“建築”というような感じじゃないですね、今の上海は。

林:こちらの感覚が狂っちゃうような、なにか得体の知れないエネルギーがうごめいている感じがしますね。私も日建設計で幾つか(プロジェクトを)やりましたけど、なかなか大変でしたよ。こちらの感覚で「そんなことしたらおかしいぞ」と指摘することが、あちらでは「そうでないと平凡でしょうがない」っていうんですから(笑)。まああと数十年して落ち着くんでしょうねぇ。今は“狂った都会”ですね。

仲佐:たしかに。サミットのとき電波塔やらビルというビルからバンバン花火を打ち上げてましたし、狂気の沙汰ですね(笑)。あのサーチライトだけでも一日分の消費電力はどんなもんだろう?って心配になりますよ。

林:サンキョウ(三峡)ダムを造ってるぐらいだから、まあ、だいじょうぶでしょ。

仲佐:笑!

林:やることがデカいんですよ。まぁ、これだけ勢いがあれば多少インテリもいるでしょうけどねぇ。日本人の建築家でも、あちらで数年間仕事したら使い物にならなくなって帰って来るんじゃないかと心配ですよ。

仲佐:上海の話題はコーン・ペターゼン・フォックス(KPF)が設計した森ビルの超高層<※注2>ですかね。

<※注2>
上海環球金融中心
中国上海市の浦東新区に森ビルが建設中の101階建て超高層ビル(高さ492m)。ショッピングモール、ホテル(ハイアットホテルアンドリゾーツグループ)、オフィスなどが入り、事業費は1050億円ともいわれている。2008年完成予定。森ビルは「上海がアジアの金融センター化するのはこれからが本番」としている。

photo林:やはり時代の流れの象徴っていうのは建築に現れますね。ある意味、建築というものの毒性ですね。WTC(ワールドトレードセンター)だってそういう本質を秘めていたわけですからね。

仲佐:先生の本(『林昌二毒本』)にもありましたけど、“9.11”は、航空技術と建築を学ばれた先生にとっては、両方を否定されたような事件になってしまったわけですよね。

「WTCの崩壊事件は、言い換えれば世界初のジェット機と超高層ビルの衝突事件でした。はじめ航空を志し、次に建築に乗り換えて生涯の仕事としてきた私にとっては、全生涯を否定された事件でありましたし、視点を変えてみれば、ジェット機と超高層とは石油資源あっての存在ですから、過去100年の石油文明を一挙に否定する事件でもあったわけです。私たちはこれからどこに向けて進むべきなのかが、問われました。」(『建築家 林昌二毒本』より)

林:そうね。両者に心中されてしまっては、私は本当に困るんですよ。

仲佐:都市として東京についてはどうでしょう? 僕は、文化論として面白い部分がある一方で、構造的には空爆のもとに成り立っている、軸線のない都市のような気がしますね。最高裁にしても妙にマッシブで、残っている建物はもう役目は終わっていますよね。

林:もう建築の時代じゃないんですね。あんなもの造ってももう誰も驚かない。むしろ裁判のインチキ性を象徴するだけでね。

photo仲佐:現実に、あの界隈を街として魅力的な状態にもっていくことは実現するんでしょうか。

林:んん、どうでしょうねぇ。私もだいぶ勉強しましたけれど、日本はそういうものが長続きしませんからね。都市計画にしても長期計画でやるんですけど、リポートができるとそれで終わりなんです。

仲佐:例えば19世紀からの伝統的な流れがずっと続いているパリなど、抑圧されているエネルギーのストレスが都市計画として出るのはいいと思うんだけど、東京はそのエネルギーが拡散してしまう都市のような気がしますね。

林:もともとエネルギーがあんまりないんじゃないかなぁ。

仲佐:えっ、そうですか!それは困りますね。笑

林:溜めておけるエネルギーがないんじゃないかな。何しろすぐ消費してしまおう、という感じですね。生き急いでいるような。これはどういうわけだかねぇ……。

仲佐:京都出身の建築家たちを見ていると感じますね。抑圧があったことがよくわかりますね。
過剰になる。

林:そう。言い過ぎる。

仲佐:ウィーンのコープ・ヒンメルブラウみたいな、ああいうのが出る素地がある街ですね、京都は。「いい佇まいではあるけれど、つまんないよ」というのを建築家たちは感じてるでしょうからね。

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毒の人

仲佐:話は変わって。先ほど出ました上海の「金融中心」の話で先生に聞いてみたかったことが。あれはコーン・ペターゼン・フォックス(KPF)の設計で、97階から上3フロアにかけて風を抜けさせるための穴が開けられているんですが、その穴のデザインが当初は丸だったのが結局四角(台形)に変更になって落ち着いたという経緯がありましてね。その理由が、丸だと「日の丸が上海市を睥睨するようでけしからん」ということでストップがかかったからだというんです。

photo林:それはどうしたもんかなぁ。

仲佐:丸とか四角とかいう抽象形態にね、睥睨して見えて嫌だという感情を重ねて捉えるのも不思議な気がするんですけどね。だって、ビルが白くて丸の部分が赤く塗ってあるわけじゃあないんですよ。

林:偉い人というのは常に怯えてるんですね。じゃあ太陽も四角にしてみろっていうんですよ。ねえ。

仲佐:この話を聞いたとき、僕の中で先生が手掛けられたパレスサイドビルの話と符合しましたね。車寄せの庇が、上から見ると白地に赤丸が塗られていて、そのちょうど真上はリーダーズダイジェスト社の代表の部屋だった。っていう話。あれは本当に“日の丸”だったんですか?

林:そうね。ちょうどその上の部屋がね。そこに太平洋戦争で活躍した後に上陸してきた当時のトンプソンという将校が来たんですからね、びっくり仰天だったでしょうね。それでも「四角にしろ」とは言われませんでしたよ(笑)

仲佐:でも、先生が統括をやられたポーラ美術館も「丸はダメ」だとか、あったんですか?

林:ありましたね。環境庁からね。

仲佐:形態に対してそういう指示が出るというのは、何なんでしょう。

林:何しろ三角屋根のものでなきゃいけない、っていうんですよ。「国定公園の中に建つようなものは、三角屋根で色は濃い緑と茶で……」というような大昔に定められた規定があるんですね。変わった屋根をつけちゃいかんぞ、と。それが今でも尾を引いてるってのがまことに面白いことですよね。

photo仲佐:なるほど。そういう先生の歯に衣を着せぬコメントを聞きたかったんです(笑)。先生が以前おっしゃったことで非常にインパクトが強いものがありました。10年程前ですが、中部建築賞を受賞した作品に対して先生は「人の真似して賞とれるってのはいいね」ってひと言。そのコメント、僕はすごく大事なものが含まれている気がしましたね。(もちろん建築作家からしたら、オマージュとか、引用とかある訳だけど。)

林:そうでしたかねぇ(笑)

仲佐:伊豆の長八美術館についてもそう。あそこは(左官職人・入江長八の)漆喰鏝絵を収蔵する美術館で、それにふさわしく左官技術の粋を集めた建築に、というコンセプトなわけなんだけど、それに対して「オープンして間もないのにクラックがあるのはおかしい」と。バッサリと言われるところが僕は凄いなぁと思うわけですよ。

林:いや、まぁ、私は毒の人ですからね(笑)

仲佐:あの本(『林昌二毒本』)を読ませていただくと、その毒の本質がよくわかります。一本貫かれているのは“人としての作法”ですね。

そういえば本には金大中拉致事件(1973年)のことも書かれていますね。今年になって韓国が政府の関与を認めましたけど。日本も、日本人が北朝鮮に拉致されている事実ははっきりしているのにいつまでも放っておいて何もしてくれない、助けに来てくれない。恐ろしいことですね。

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「天気のいい休みの日などはテラスで過ごします。昭和初期の国語の教科書を読んだりね。なかなかいいもんです」

林:日本は国民をあまり助けない国ですよ。それはもう沖縄でも満州国でも前例があるようにね。国が国民に対して責任を負ってない国なんだから、ここに住んでることは極めて危険ですよ。用心しておかないと。

仲佐:建築関係の話では、朱鷺(とき)メッセの連絡デッキ落下事故(2003年)はヒヤリとしましたね。あの時、万景峰号が来ていてマスコミもわんさかいましたからね。

林:あれは大事件ですよ。もし彼らが通っているときに落ちたりしていたなら、日本の陰謀だといって大変なことになっていまいしたよ。それこそテポドンが飛んできますよ。私はそれが非常に怖かった記憶がありますねぇ。

仲佐:テポドンだいじょうぶかな……(苦笑)

林:どんな大砲でも1発目は当たらないでしょう。1発目を受けて2発目に確実性が出るもんです。

仲佐:なにしろ飛んできちゃったら防ぎようないですね。……なんか際どい話になってきちゃいましたね。

林:際どい話じゃなくちゃあ面白くないでしょう。

この対談は2006年7月の北朝鮮による弾道ミサイル発射以前の同年6月に行われたものです。

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最後の大仕事

photo仲佐:僕が建築写真にだんだんはまっていった頃、完全にハマる切っ掛けになったインパクトは日建設計のインテリア部にいらした向井さんのひと言だったんですよ。当時、三井物産の本社だったかな……、僕はメーカー側にもぐりこんで何とか撮影に漕ぎ着けたんですが、その写真を見て向かいさんがひと言、「アルサロ風だね」と(笑)。アルバイトサロン、つまり今でいうところのキャバクラですかね。そんな感じだとおっしゃったんです。水銀灯の青っぽさがクリアされてない映像だ、もっと勉強しろと。それは燃えましたねぇ。どうすればそうならないんだ???っていう試行錯誤がその後しばらく続いて。とにかく照明の色温度に合ったコントロールで撮影していくというのが相当の心がけになりました。

林:なるほど。そんなことがありましたか。向井さん、あの人は何を頼んでもこなしちゃうベテランでしたねぇ。

仲佐:僕の印象ではいま日建設計が政治的に強くなっていて圧倒しているように思うのですが。

林:いやぁ、そんなことはないですよ。

仲佐:大阪行っても名古屋行っても日建設計だらけですよ、現状は(笑)

林:まあ……多少そうかもしれませんね(笑)

仲佐:僕は若手の世代では山梨知彦さんの仕事、すごく好きですね。あの世代では桑原聡さんと彦根明さんも注目していてます。日建設計では山梨さんだなぁ。

林:あぁ、彼はなかなか素敵な男ですよ。彼は建築村の戸籍をもってないんじゃないかな。だからちょっとスッキリしてるんでしょう。

仲佐:いわゆるスクールを感じさせない。

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林先生、お気に入りのグラスでお気に入りの『富士ミネラルウォーター』を。「いいでしょ、このグラス。これでコーヒーもスープも飲みますよ。ホットワインもね。ま、みそ汁だけは会いませんね」

林:そうそう。そういう感じですね。

仲佐:山梨くんが意匠を手がけた桐朋オーケストラ・アカデミー(中部建築賞受賞)、あれはよかったですね。緑が豊かな土地だともっと映えたと思うけど。

林:そういう所で仕事ができるチャンスがあったらいいけれど、なかなかないですね。

仲佐:でも先生はそういう環境でポーラ美術館を。最後にいい仕事をされましたね。

林:ポーラの美術館なんて、あれは正面突破で10年かかっちゃったんだから。まぁ、できたことはできたけど。もう私は息が切れちゃったんです(笑)。もうこりゃあ私が生きてる間に完成しないんじゃないかと思って、策をとらなければと。それは幸い、個人事務所じゃないから後継者を決めればいいわけですから。会社組織というのはいいもんだと思います。

仲佐:でもポーラの社長としては林昌二に託した、という想いがあるわけで実際は難しいところだったんでしょうね。

林:そうですね。それを大事にしなくちゃいけない。でも結局オーナーも竣工直前に亡くなられた。まことにあの仕事は色々と運命的でしたね……。

仲佐:その後はご子息が社長になられたんですよね。

林:そうです。またとても面白い方でね。ホンダのデザイナーをしていた方で、NSXの設計にも関わっていたとか。

仲佐:あっ!そういえば、先生のNSXはどうされたんですか?今日、ガレージにありませんね。

林:あげちゃった(笑)。ポーラ美術館も計画から10年かかって、うちのNSXもちょうど10年目だったりしてね。

仲佐:あげちゃったんですか! いやぁ〜そうでしたかぁ……。僕の先生の印象で強く残っているのが、雅子夫人と青山の紀伊国屋にNSXでいらしていたシーンなんですよ(笑)。「わ、こういう乗り方するんだぁ!」と思ったのを覚えています。

林:そんなことがありましたか。まぁ、ああいうところに行く車じゃあないですよね(笑)

仲佐:奥様とご一緒の時にお見受けしたのはそれが初めてでしたから。そのとき、先生すごくご機嫌でしたよ(笑)

林:あははっ、そうですか(笑)。もう7、8年前ですねぇ。

仲佐:お仕事の話に戻りますけど。先生のポーラ美術館のお仕事で考えさせられるのが、なんというか、“引き際”の見極めという部分ですね。プロとして、最後までやり続けるのが果たしていいかっていうのは、本人の見極めですよね。

林:そうね。相当なお歳になって大きな仕事をなさって「先生さすが、生涯現役ですね」と言われていい気になってるってのが、私はちょっと、ね。いい年してなんなんだと思いますね。わりとそういう人が多いですね。何でしょうねぇ、感覚がぼけてくるんですかね。

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「せっかく皆さんがいらしたんだからワインでも開けましょうか」

仲佐:異論が起きても「俺を誰だと思ってるんだ」っていう発想があるから強引にやり切っちゃいますよね。それはエゴイズム。やりたいことを形にするってのはいい、でも本来建築の仕事というのはクライアントがいて、そのニーズを汲み上げるもの。

林:それで魅力的なものができれば本物だけど、そんなの見たことないですよ。やっぱり職業性ってのは、人に頼まれてその人のためにやるからいいんであってね。自分で好きなようにやっていたらそれはもうド素人ですよ。

仲佐:余談になりますが、私と30年近く一緒に仕事をしている中道が、初めて上京してきたときの印象で、「山手線で一周すると、五反田のポーラの建物が白く美しく東京を感じた」ということを言ってます。本当にご縁を感じます。



文/構成:大原信子(株式会社ナカサアンドパートナーズ)

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